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三話 8分間のドラマ

Author: 蒼良 美月
last update publish date: 2026-05-13 18:36:23

──神が大きく溜息を吐いた後、御神様が私の顔を見て笑った。

 神が笑った姿を生で見れた!

 ヤバイ倒れそうです!

「天野。ピアノ科初等部に一人追加。譜読み中心に基礎を一から教えてやってくれ」

「え? バイオリン科でなくてですか? 御神先生?」

「そっちは俺がやる」

 審査委員席に座っていた天野を含め、そこにいた全員が驚きの表情を隠せなかった。

 世界中を飛び回っている超売れっ子指揮者が、一介の音楽学校の生徒を教える? しかもド素人を。

 確かに先程の演奏には驚かされたが、弓使いは無茶苦茶。姿勢も酷い。逆によくアレでパガニーニを再現出来たこと自体が不思議なぐらいだ。

 有り得ないだろ。そんなの。

 皆が半信半疑で聞いていた。

「え? 御神様が? どう言う意味?」

「あーーこれか申し込み書。お前これ記入しろ」

「え? え?? 合格ですか? 私??」

「1ヶ月以内に楽譜通り弾けるようにしろ。話しはそれからだ一ヶ月して無理なら即刻退学だ。その間の学費や寮費は俺が払う」

「え? 一ヶ月?」

「お前ここの保護者の欄、未記入だが親は?」

 御神様が私の応募用紙を見ながら、少し怪訝な顔をした。

 父は産まれた時から居なかった。母も三歳で亡くなり、それからは祖母と暮らしていたが、その祖母も昨年亡くなったので保護者と言える者はもう居なかった。

「両親は亡くなっていて、育ての親の祖母も昨年他界しました。それだと駄目でしょうか?」

「………」

 先程までのざわついた部屋が静かになった。

「え?」

 御神様が、自分の胸ポケットから万年筆を出され、おもむろに保護者の欄にサラサラと書き始めた。

 保護者名を消して、保証人と書き換え「御神 貴志」と何とご自身の名前を自ら書いたのだ。

「由紀、これで問題ないだろ? あとのことは任せる。必要な物は全て揃えてやってくれ」

「え? はぁ……仕方ないわね。桜井 花音さん? 学長の御神 由紀です。後で学長室にいらっしゃい。そこで入学手続きをしましょう」

「あ、宜しくお願いします?」

 酔狂もいいところだわ……

 また今までの子たちみたいに潰れてしまわなければいいのだけれど……

 由紀は、弟の顔を不安そうな目で見た。

「あの? ツィゴネルって??」

 さっき確か言ったような?

「あん? サラサーテのツィゴネルワイゼン知らないのか?」

「いえ。それは……分かりますが」

 いや、流石にそれぐらいは私でも知ってますよ。三年前の御神様のプラハの公演のCDの初版盤買いましたもの。

「あれ、お前何で聴いた?」

「プラハの初版盤並んで買いました!」

 あれ? 駄目でした?

 神がまた額に手を当てていらっしゃいます。

 あれ素晴らしい演奏でしたが? 毎日死ぬほど聴きましたよ。

 パガニーニと並ぶ私の宝物です!

 ──ガチャ

「失礼します。え? 何でここに?」

 白いスーツ姿の男に視線を移すが、相変わらず無表情だった。

「スコア」

「あ、ああ? ツィゴネルだろ?」

「高科、録音の用意しろ。由紀ピアノ」

「え?」

「は?」

 黒髪の長身の男性は、この事態に全く理解出来ず、学長の顔を見る。

 彼女が無言で頷き、ピアノに向かったので言われた通り録音の準備をはじめた。

 異様な空気が部屋を支配していた。

「よこせ」

 御神様が私に手を出す。

 え? もしかして生演奏??

 嘘でしょ?

 言われるがまま、お貸し頂いたバイオリンと弓を差し出す。

 うわ。改めて見るとやっぱりイケメンだわ。

 でも、私はそんなところに惚れ込んだのではない。

 旋律を奏でる綺麗な指先と、軽く押さえただけに見えるのに、深く響く艶のある低音。

 背中がゾクゾクするあの感覚。

 あれこそ、御神 貴志の真骨頂よ!

「スコア通りに弾け」

 御神様が、お姉様に楽譜を渡された。

 え? ここで生演奏?

 えええ? チケットすら取れない神ですよ?

 しかも御自身で弾くのって何年振り?

 プラハが最後だったような。

 泣きましたもの。二度と神の音がもう聴けないと思って。

 貴方のツイゴネルワイゼン死ぬほど聴きましたよ?

 それを目の前で?

 あ、気絶しそう……緊張しすぎて。

 タダで聴けるんですか?

「一度しか弾かない。よく覚えとけよ。後ろ立て」

 え? 真後ろで聴かせて貰えるんですか?

 ここで聴いて良いのですか? 神の演奏を?

 しかもツィゴネルワイゼンですよねえ?

 プラハの。毎日聴いたアレをここで聴いて良いのですか?

 私もう死んでも、悔いはありません! 御神様!

「違う。右後ろだ。ボーイングよく見とけ」

「いつでもいいぞ」

 ピアノの音により舞台の幕が開く。

 その後バイオリンに──

 ジプシーの調べが始まる。

 ──正確に8分でドラマの幕が下りた。

 それはまるで映画の世界の中にいるかのような感動?

 いや、そんな簡単な言葉では言い表せない感覚。

 止めどなく流れる涙に視界が歪む。

 何百回、いや何千も聴いたプラハ公演の、圧倒され響き渡る音の洪水ではなく、胸の奥がぎゅうっと掴まれるような、痛みと切なさと魅惑の世界。

 伴奏のピアノの音にギリギリ外れないところまで響き残る余韻に、重ねられて行く旋律。

 神ってずっと触れてはいけない神聖な領域。形がありそうで無い、掴んではいけない存在で、実態しない抽象的存在だと思っていた。

 でも今日私は、神をも従える圧倒的存在を目の当たりにした。

 ──神が降臨したのではない。

 彼が神を従え同化した。

 震えが止まらない。

「まさか、あの頃の演奏が今聴けるとはね」

 高科 和樹、御神 貴志の4年先輩で海外留学後、日本で活動しながら今は、彼の姉の由紀に頼まれ、学園でバイオリンを教えている。

 彼の頬にも涙が零れていた。

 身体全体に電流が流れたような、今でも震えた手を押さえるだけが精一杯だった。

 初めて体験した、圧倒的な存在に私は立っていることさえできなくなる。

「おい!」

 脚の力が抜けて床に座り込んでしまいそうになる瞬間、力強い手が出された。

蒼良 美月

◆◆おまけ◆ ・ツィゴネルワイゼン(サラサーテ)同タイトルの映画有り。 ハンガリーのジプシー音楽を題材にした超絶技巧曲。一度は聴いたことがある有名曲。 ・ボーイング:弓の「運弓法」 ・スコア:全パートを一つの譜表にまとめた楽譜。(総譜・フルスコア) ※ピアノだけ、バイオリンだけはここでは「楽譜」と表記統一します。

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